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広島地方裁判所 昭和40年(ワ)817号 判決 1968年2月29日

原告 小林秀夫

被告 広島県

訴訟代理人 小川英長 外四名

主文

被告は原告に対し、金一四万七、五〇〇円及びこれに対する昭和四〇年一〇月二九日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

この判決の主文第一頂は仮に執行することができる。ただし、被告が金五万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事  実 <省略>

理由

原告が昭和二四年三月二日、(一)及び(二)の土地を旧自創法に基づき被告知事から売渡処分をうけ、その代金九〇四円五〇銭を完納したこと、しかるにその後の昭和三一年五月二九日、(一)の土地は三行琢美名義に、(二)の土地は徳永須賀雄名義に、それぞれ所有権取得登記がなされており、被売渡者である原告に対し所有権移転登記がなされなかつたことは、当事者間に争いがない。

<証拠省略>を総合すると、次の事実を認めることができる。

一、(一)及び(二)の土地は、終戦前から原告が旧所有者である賀川寛一から賃借小作していた田に付属した、いわゆる田づきの山であつたのを、旧自創法に基づき、牧野として右田と共に右賀川から買収されて、原告に売渡されたものである。

二、被告知事において、右買収売渡にともなう所有権移転の嘱託登記をいまだしないうちに、昭和三一年五月二九日、被買収者であつた亡賀川寛一の相続人である賀川清己は、(一)の土地を三行琢美に、(二)の土地を徳永須賀雄に、それぞれ売却して前記のようにその旨の登記を完了した。

三、(一)及び(二)の土地には以前から自然生の、かし、なら、杉、松その他の雑木が生立していたが、原告は終戦前から肥料の不足していた昭和二四、五年ころまでは、この土地を隔年に下刈り採草して、右の田作りのための肥料の不足を補充していた。

このことは、(二)の土地の左隣りの土地(旧所有者は賀川寛一)を利用していた徳永須賀雄についても、同様に言えることであつた。もちろん、原告は、(一)(二)の土地を採草の目的だけに利用していたとは限らず、立木の伐採等をして採草以外の目的に利用したこともある。

もつとも、前記各証言のうち、右認定に反する部分は採用しない。

(被告の売渡処分無効の主張について)

右認定事実からみると、(一)(二)の土地が昭和二四年の本件買収当時、旧自創法にいう「牧野」でなかつたとは認定できず、仮に一歩譲つて牧野と認定するのは相当でないとしても、被告知事が牧野と認定してなした買収処分に、取消のかしがあるというのは格別、被告主張のように、重大かつ明白なかしがあるということ、つまり無効の処分であると認めるのは相当でない。したがつて、この無効を前提とする売渡処分の無効の主張は理由がない。

(被告の消滅時効の主張について)

<証拠省略>によれば、次の事実を認めることができる。

原告は、(一)(二)の土地については所有権取得の嘱託登記こそ得ていなかつたが、被告知事から売渡通知の交付をうけ、かつ売渡代金の納入も終えていたので、安心していたところ、昭和三六、七年ころになつて始めて、徳永須賀雄や三行与一から、前記売買登記(昭和三一年五月二九日の賀川から徳永及び三行に対する前記所有権移転登記)の事実を聞き(それまでに、被告知事その他農業委員会から原告に対し、売渡処分の無効ないし取消の通知のなされた跡形は全くない。)、驚いて調査をはじめ、最後に昭和三七年八月二六日付で被告農地経済部長宛に照会した結果、昭和三八年七月二四日付で同部長から事の次第につき回答をえ、同月二六日始めて、正式に事の次第を確認した。

右認定事実によれば、原告が被告知事の行為(買収売渡の登記の嘱託の懈怠の違法性をしかと認識したのは、昭和三八年七月二六日であると認めるべきであるから、民法第七二四条にいう「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」は、その時点であると認めるのが相当である。してみると、右日時より記録上明らかな本訴提起の日である昭和四〇年一〇月二六日までは三年を経過していない。従つて、被告の消滅時効の抗弁は理由がない。

(損害額)

上来見てきたところによれば、原告は(一)(二)の土地につき、被告の登記嘱託の懈怠によつて、所有権取得の対抗要件を得られず、その間、第三者に対し旧所有者から売買並びに登記がなされたため、結局、(一)(二)の土地所有権を確定的に失い、その所有権価格相当の損害をうけたことになる。

ところで、不法行為による物の滅失(喪失)による損害賠償額は原則として、喪失当時(本件でいえば、昭和三一年五月二九日当時)の交換価格によるのが相当であるが、本件においては昭和三八年七月二六日当時の交換価格を基準として定めるのが相当であると解する。けだし、戦後における土地価格の漸騰の傾向は公知の事実で、このことは採草地と雖も全くの例外たりえなかつたものと解せられるところ、若し所有権喪失時を基準とすれば、原告の損害額は日時の経過と共に漸次、増大していたにも拘らず、原告はこのことを昭和三八年七月二六日(消滅時効の起算日)までしかと認識し得なかつたのであるから、いわば、打つ手無くしてなお、その間の価格騰貴による損害額の増大の不利益を自ら負担しなければならない結果を招来し、かくては、公平の理念に反するからである。

そこで、昭和三八年七月二六日当時の(一)及び(二)の土地の価格が幾ばくかを検討するに、<証拠省略>によつて認められる、同証人が賀川清己から昭和三一年五月二九日(二)の土地を買得したときの代価が九九一・七三平方米当り金一万円であつた事実、土地価格の前示漸騰の傾向検証の結果認められる(一)(二)の土地の位置、立木その他の現況、<証拠省略>(これによると、(一)(二)の土地の価格は昭和四〇年一〇月二〇日現在で九九一・七三平方米当り金四万円と評価されているが、同証人の証言と合わせ考えても、この評価額をそのまま採用するわけにはいかない。信用しうべき専門家による鑑定ならば、格別だが。)その他諸般の事情から考えて、右基準日における(一)(二)の土地の価格は九九一・七三平方米当り金二万五、〇〇〇円見当、従つて総額で金一四万七、五〇〇円であつたものと認める。

(結論)

以上判断したとおりであるから、国家賠償法第一条により、被告は原告に対し損害賠償として金一四万七、五〇〇円及びこれに対する本件訴状が被告に送還された日の翌日であることの記録上明らかな昭和四〇年一〇月二九日より支払済に至るまで民事法定・利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、原告の請求は右の限度で理由があるから認容するもその余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、第九二条、仮執行及び仮執行免脱の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 荻田健治郎)

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